| #04 Ken Tanaka ─ライフスタイルからデザインを考える |
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| 作者 辻川紗矢 | 2009/06/23 火曜日 00:00:00 JST | ||||||||||||
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これまで日本の「パタゴニア」全店舗のデザインにかかわってきた。もともとライフスタイルや日々の暮らしを考えるところからスタートし、商業施設から住宅デザインまで幅広く活躍している田中氏。そのこだわりとデザインへの想いを聞いた。
──こちらに来られる前は日本でお仕事をされていた? 僕は多摩美を卒業して「浜野商品研究所 (現・浜野総合研究所 )」という事務所に 勤めました。30年前は「デザイン」というものがまだ今日のように日常に浸透していなくて、特別なものでした。そういう時代に、その浜野安宏さんは、デザインを日常に広めるおもしろいプロジェクトをたくさん手がけられていました。たとえば「東急ハンズ」の企画をしたのがこの事務所なんですよ。それから「Live and Work」というコンセプトで「フロムファースト」という商業施設をプロデュースしたのも浜野さんでした。それで建築学会賞をもらって、原宿駅から青山通りを越えて表参道が今みたいに栄えるきっかけにもなったんですよ。僕がそこに勤めて最初にかかわったのが、東急ハンズの渋谷一号店でした。今はもうすっかりモダナイズされて、デザインやおしゃれなのが当り前の時代ですけど、30年前の日本は、まだそういったところに入っていく過渡期で、そういう部分に目を配る人は本当に限られていました。そんな時代の先駆者であった浜野さんの事務所に入ったんです。──アメリカに来られたきっかけは? もともと浜野事務所に入るまでは、住宅に興味があったんです。住宅設計へのかかわり方として、普通の設計事務所に勤めるという建築的な視点からの入り方と、日常の暮らしやライフスタイルのデザインといったところから自分がどういう暮らしをしたくて、どんなところに住みたいかを考える、という選択肢がありました。それで僕は、後者を選び、いわゆる普通の設計事務所に入るのではなくて、フロムファーストを企画した浜野商品研究所という会社に入って、東急ハンズの企画にかかわって、その上でじゃあどういう住まい方をするのかを考える、そういうアプローチをしたんですよ。それでどうしてアメリカに来たかというと、慌しく仕事をしていたのでリフレッシュしたかったのと、その当時のデザインのソースというのがアメリカに多かったんですよね。東急ハンズも然り。当時アメリカにあるおしゃれな小物を売っているお店に目を付けて企画をつくったんです。フロムファーストのビルも、サンフランシスコにギラデリースクエアやキャナリーという有名な洒落た建物があって、そこの空間構成だとかを参考に考えたものなんです。日本でそういった仕事をしていると、ヒントになるものがみんなアメリカにあったので、自分の目で見ておかなければということで、こちらに来たんですよね。 ──その中でロサンゼルスを選んだ理由は? 自分は将来どういうことをやりたいか、どういう方向に行くのかを考えるときの根本に、いつもチャールズ・イームズ夫妻の仕事がありました。彼らが、家具や住宅のデザインの傍らで、写真を撮ったり、映画をつくったり、展覧会のデザインをしたり、相当広い範囲にわたってデザイン表現をしたということにすごく興味があったので、イームズのいるロサンゼルスに行きたいと思って、ここへ来たんです。 来た当時はもうチャールズ・イームズは亡くなっていたんですけど、奥さんのレイ・イームズと知り合って、イームズハウスに行ったりイームズ事務所を見に行ったりしました。その関係でクインシー・ジョーンズという建築家の未亡人と知り合えたんです。クインシー・ジョーンズという人は、イームズの家具を出しているハーマンミラーのジーランド(ミシガン州)にある工場をデザインした建築家なんですよ。僕はあまりその人のことを知らなかったんですけど、その奥さんと知り合っていろいろ調べてみたら、ロサンゼルスにおもしろい住宅をいっぱいつくっている人だった。第二次世界大戦が終わって、帰ってきた軍人さんのための住宅開発がいろいろなところで行われる中で、デザインの良い家をつくろうという気の利いた志のデベロッパーがいて、そういう人たちと多くの仕事をしていた建築家でした。僕は住宅に興味があったので、その人にすごく惹かれて、結局その人の事務所に就職できたんです。浜野さんのところでは商業施設が多かったんですけど、今度は自分がやりたかった住宅設計の事務所に入ることができて、そこで6年間勤めたあとにUCLAの大学院に入って、それから独立しました。 ──こちらでお仕事をされる魅力は何ですか? そうですね、ロサンゼルスは僕らの仕事で言えば、自由ですね。制約やしがらみが少ない。日本は天候、暑さ、寒さが厳しいですから。ただ、最近の日本のデザインを見ていると、もうその域を出ましたね。昔僕らが学生のときに教わった、日本は雨が多いから軒をつくらなきゃいけないとかっていうことが今日本にはもう無いと思います。雨が入らないようにする技術もあるし、建てる側も人によっては雨が漏らないとか暑さや寒さではなく、生活スタイルみたいなものとか、求めるものが全然変わってきている。僕らが勉強していた頃とは、価値観が明らかに違う。デザインのレベルは今、技術も感性も日本はすごく高いです。それは間違いない。上を見て勉強していた時代はもう終わって、国際的にも高い評価もされています。 ──では田中さんが今、学生だとしたらこちらへ来ていなかった? うーん、でもデザインレベル云々とは違う次元で、違うものを見たいという気持ちは今も常にあるので、たぶん来ていたと思いますよ。当時は何を見ても刺激になりました。いまだに当時のスライドのフィルムを取ってあるんですけど、来て一年目の写真だけでダンボール10箱以上。何も擦れていなくて本当に新鮮、見たものをそのまま、ものすごい勢いで写真に撮っているんです。たまにそれを見ると、その当時に戻れるぐらい1枚1枚に思い入れがあります。まさに初心に戻れる、ハッとするというか。そのぐらい新鮮だったんでしょうね。それに加えて、何よりも異文化の人々のライフスタイルにすごく興味があるんです。米国、特にロサンゼルスはその意味でもおもしろいところなんです。 ──お仕事のことをうかがいたいと思います。住宅だけでなく商業施設も手がけられていますね
パタゴニア渋谷店
(写真:KOJI OKUMURA)
Tigertail Road
(写真:HIROKI KOYANO) 先ほどお話したように、価値観がものすごく多様化してきている中で、上手くいくプロジェクトって、価値観の近いクライアントと出会ったときなんですよね。その価値観を確かめ合うプロセスというのが住宅設計の一番大事なところで、そのやりとりこそが住宅設計の醍醐味ですね。やりとりをしながらカタチをつくっていく、そのプロセスが一番です。それってデザインの基本なんですよね。その基本が住宅設計にあるような気がするんです。商業施設はそれと同時に、ものすごく厳しいタイムラインと予算があるので、結構そういったやりとりはそっちのけにしても終わらせなきゃいけないということがある。もちろん住宅にも予算もスケジュールもあるんですけど、やはり個人のものですから、納得するまで煮詰めることができるのが魅力ですね。 ──日本とアメリカでは、住宅に対する考え方が違うというお話を聞きましたが。 たくさんありますね。一例ですけど、アメリカだと、まちの景観や周りの環境に対してみんなで街並みをつくるという考えがあって、それが法律にもなっているんです。一軒一軒が集まって一つのコミュニティができるんだという考えを前提にして、かなり厳しい条例ができています。だから自分で買った家とはいえ、自分だけのものにはできない部分があります。それでもアメリカはやっぱり個人主義の国なので、主張はすごくしますよ。いくらそういう条例があっても、やっぱりその個人が自分でお金を出して買ったものだから、そういう主張は出てきます。ですから一軒の家が建つということは大変なことなんです。 ──そういった中で自分の思い通りのデザインを実現するのは難しそうですね クライアントが結構はっきりとしたビジョンを持っていて、それが自分のものとは食い違うと、対立はするんですけど、結果的に良いものができたりもします。まとまらなければ決裂することもありますが、一歩乗り越えたときには、後味が良いですね。 僕には一応自分のスタイルがあります。大家と言われる人は、そのスタイルを貫いてできる。クライアントはそれを求めて来るわけだから、どんどん自分のものを出していけばいいんですけど、僕らはそこまでの立場ではないので、クライアントの要望が絶対に出てくる。そういうものを1つ1つ乗り越えていかなければいけない。ですから100%自分が思ったものだけにはできないけど、相手を取り込んでそれを自分のものに消化したときに、やっぱり達成感がありますね。自分の許容範囲をはみ出したものはつくりたくないので、その中に収める。
KEN TANAKA邸
(2Fコリドールから居間を見おろす) やっぱりそれが無いとやっていけないですから。ただ、そのボーダーラインをどこに置くかというのが、常に僕は葛藤なんですけどね。仕事ですし。それはデザイナーの宿命だと思います。 ──ここだけは譲れないこだわりは? 全体のものなので、1つだけということじゃないんですよね、プロポーション、バランスなので。だけど、言葉ではなかなか言い表せませんが、それは確実にあります。僕のデザインを見た人から、KEN TANAKAのスタイルがあるって言われるので、そのスタイルが僕が守っているものだと思います。自分の枠があって、僕が手がけたデザインは一本の線でも、素材・色・空間でも、自分の感性に一致したものの集積です。 ──予算などの制約もありますものね 予算が少ないプロジェクトが結構多いんです。少ないからどうしようか、そこから始まることが多い。学生時代によく読んだのが、レイモンド・ローウィ(Raymond Loewy:1893-1986)というアメリカのデザイナーの「口紅から機関車まで」という本です。要は、デザインって小さいものから大きいものまでいろいろある。50階建てのハイライズビルも、口紅みたいな小さいものも同じく評価されるわけなので、決して大きさじゃない。それが僕のモットーなので、予算があって大きければいいんじゃなくて、小さくてもそれなりの工夫をする。もちろん使いたい放題の予算があるようなプロジェクトにも憧れるんですけど、でもそれだけじゃない。自分ができることをやっていられるだけでも幸せだなと思っています。 ──予算がたくさんあれば、工夫することが少なくなりますよね 予算が好きなだけあったら良いデザインができるかというと、それはできない。ちゃんとそれだけの技量と、それをコントロールできる技が無かったら良いものはできない。だから将来そういう仕事が来たときにちゃんとできるように、少ない予算の仕事でも一生懸命やろうと思っています。一番のボーダーラインは、自分感性に合わないことをやりだしたらダメだと。自分の納得できないことはしないということですね。聞きようによっては、自分勝手なことを言っているみたいですけど、
Dewey Street
(写真:Shuji Kobayashi)
──今後もこちらでお仕事をされていくおつもりですか? そうですね、家族もいますし。ただ、日本の仕事を増やしたいと思っていて。今は今ですごく恵まれているんですけど、第三者として日本の状況を見ていると、日本にはかなり良いクライアントがいるんじゃないかなと思っているんです。日本で有名になったデザイナーや建築家の方には、自然と良いクライアントがいっぱい来ると思うんですけど、僕みたいなスタンスで仕事をしていると、ネットワークや付き合いで仕事が来るので、もっともっと幅を広げていきたいなって。今こちらで日本のクライアントの住宅もやっていますし、日本で住宅設計をやれたらいいですね。
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| 最終更新日 ( 2010/02/23 火曜日 20:04:20 JST ) | |||||||||||||
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勤めました。30年前は「デザイン」というものがまだ今日のように日常に浸透していなくて、特別なものでした。そういう時代に、その浜野安宏さんは、デザインを日常に広めるおもしろいプロジェクトをたくさん手がけられていました。たとえば「東急ハンズ」の企画をしたのがこの事務所なんですよ。それから「Live and Work」というコンセプトで「フロムファースト」という商業施設をプロデュースしたのも浜野さんでした。それで建築学会賞をもらって、原宿駅から青山通りを越えて表参道が今みたいに栄えるきっかけにもなったんですよ。僕がそこに勤めて最初にかかわったのが、東急ハンズの渋谷一号店でした。今はもうすっかりモダナイズされて、デザインやおしゃれなのが当り前の時代ですけど、30年前の日本は、まだそういったところに入っていく過渡期で、そういう部分に目を配る人は本当に限られていました。そんな時代の先駆者であった浜野さんの事務所に入ったんです。
